野を使うこと。 そして、ブログの再開 (というか、ようやく開始?ですね)

susuki201609

久しぶりに、学会に行ってきました。
やはり、最先端の研究発表は刺激的ですし、今後の社会のあり方について自分の考えを整理することにも役立ちます。

今日、行ってきたのは緑化工学会。古くは、日本各地にあった禿山の緑化や、道路わきの斜面の緑化など、日本の社会において「緑環境」を作ってきたパイオニアが集まる場です。

様々な議論の中で、「これまではいかに緑化するか」が主な話題でしたが、「いかに緑化地を効率的に管理するか」というテーマがちらほらと出てきたことが、個人的に印象に残りました。緑化地の維持管理は、その管理者にとって近年、無視することができないほど悩みの種ということだと思います。実際、仕事の中で様々な緑化地を目にしますが、維持管理費は年々削減傾向にあり、クズや外来草本が繁茂する「荒地」のような緑化地を目にすることが増えている気がします。

ただ、世の中としては、管理という発想に留まっていては先がないと私は考えています。管理とは、対象の状態が悪化しないように保全・維持するための行為のことですから、そこから得られるものはなく、かかったコストが出ていくだけです。ただでさえ、現状が悪化しつつある緑化地を、いかに効率よく管理する方策が見つかったとしても、人口が減っていく日本では、人手も予算も見えなくなるでしょう。

であれば、何がなんでも「緑の利用価値」を見出す必要がある、と考えます。

緑化地だけでなく、里山も人工林も、日本の森林はそのほとんどが有史以来、人の手で管理されてきました。ただそれは、保全をしたくて管理をしてきたわけではなく、人々が日々、生きていくために利用してきた結果、また利用が行き過ぎないように「利用を管理」してきた結果、よい状態(各地で様々な状態だったでしょうから、必ずしもすべての場所がそうだったとは言えませんが)が維持されてきました。

そういう意味では、残念ながら私は「ホンモノの里山」を見たことが無いと、最近、思い始めました。私が各地の草原を巡り始めたころには、人の生活に溶け込み、利用のサイクルの中にある山野や、それを管理する社会がもうほとんど無かったからです。

多分、私たちはそういったシステムを頭では理解しつつも、そこには戻れないと決めつけて、今ある緑の管理を考えているような気がします。

利用利用、と考えていたら、このブログを「利用してない」ことに気が付きました。
「のもり」は今、半子育て休業中ですが、野を守り、野を使うことについて、これからこの場をお借りして、皆さんとその想いを共有してみたいと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>